西オーストラリアのパースから南へ50キロのロッキンハムでは、野生のミナミハンドウイルカと泳ぐツアーがあります。小笠原とは全く異なるかたちのスイムですが、さてどんなふうなのか、体験してきました。
2002年11月11日
7時、パース駅近くの待ち合わせ場所へRockingham Dolphinsのピックアップバスが来ます。ガイドはカナさんという日本人女性で、ここへ集まったツアー客も日本人ばかり7人です。
バスを走らせながら、カナさんがイルカやスイムについての説明をします。40分ほどでロッキンハムに到着、水着に着替えて、船に乗ります。この日は日本人以外に、イギリスからの21人の団体が一緒でした。スタッフも、キャプテンのほか、カナさんや日本人のヨウくんをふくめて5人います。
船上でウエットスーツを着込み、救命胴衣の説明を受けてから、8時過ぎに出港。途中でスイムについてのガイダンスがあります。
15分ほど走ったところで、イルカを発見。泳ぐ用意をしますが、このイルカたちは採餌中だったらしく、全くボートに興味を示さないのであきらめました。じきに別のイルカを見付けますが、これも船に寄ってこないので、追うのはやめます。
そのあと、沖のカーナック島近くで3頭のイルカを見付けて、いよいよこの群と泳ぎます。
まず、乗客はいちどきに全員が水中には入らず、先に泳ぐ第1グループとあとからの第2グループに分かれます。第2グループに泳ぎが苦手な人たちが入り、先のグループの様子を見ることにします。
用意ができると、スタッフが水中スクーターをかかえて海に入ります。そのスタッフの腰に巻いてるベルトに、ひとりの乗客がつかまります。そのお客の腰のベルトにはもうひとりがつかまって、その後ろにまた別の人がつかまる、というわけで、まるで電車ごっこのような長い列ができます。1人のスタッフの後ろには、5人つながります。皆、マスクとスノーケルは着けてますが、フィンは履いてません。全く泳がずにスクーターで引っ張ってもらい、水面で浮かんでいる状態で近付いてくるイルカを見るのです。列は全部で3つあり、もうひとり別のスタッフがスクーターを使い水中で動き回ってイルカたちを誘って、その列の近くへ連れてきます。お客は、先頭のスタッフの「右!」「左!」という声に合わせてつかまる手を持ち替えながら、その方向にいる水中のイルカをウォッチします。緑がかった海で透明度はあまり良くないのですが、それでもスタッフがうまく誘導してくれるので、かなりの近さでイルカを見ることができます。しばらくイルカを見てから、船に戻り、第2グループと交代します。
こうして、20〜30分づつ、何回かグループが交代して泳ぎます。私たち日本人は、カナさんの後ろにつながりました。でも、さすがに小笠原の島民にとっては水温が低く、寒いと言いだしたMAKOTOは2回で泳ぐのをやめました。ヨウくんが、「せっかくイルカたちもたくさん集まってるのだから、もう一度泳いだらどうですか」と励ましてくれるけど、船上ウォッチに切り替えたようです。ちなみに、このときの水温は18度、私たちは5ミリの半袖ワンピースタイプのウエットスーツにフードベストを着ていました(もちろん、自分のスーツを持ってない人には、レンタル用が用意されています。マスクとスノーケルも貸してくれます)。
見ると、いつのまにかイルカたちの数が増えて、30頭にもなっていました。泳がずに、列に寄ってきたり波乗りしたりのイルカたちを船上から見ているだけでも楽しいです。ここでは、特に雌とヤングが好奇心が強くてよく近付いてくるとのことでした。
この日は風が強かったせいか、酔う人もいて、数回のスイムのあと港に戻り始めました。いつもなら、ゆっくり帰りながら出会ったイルカの説明があるそうです。戻る船の中で、サンドイッチとスープかコーヒーの軽食が出ました。泳いだあとの冷えた体に、温かい飲物が嬉しかったです。
11時に帰港。着替えを済ませて、12時、ヨウくんの運転する車でパースの街まで送ってもらいました。
小笠原などで行われているスノーケリングでのドルフィンスイムとはだいぶ違いましたが、このやり方なら、全く泳げない人でも安心して浮いたままイルカを見ることができるでしょう。スノーケリングだと、同時に泳いでも、上手な人と下手な人でイルカを見られる距離も違ってしまいますが、皆が同じように近くで見られるのは、ツアーのあり方としていいかもしれません。スタッフのガイドの仕方もわかりやすく、よく気を配っていて、参加して気持ち良いツアーでした。
ところで、ここのスタッフだったヨウくんは、このあとSea-Tacのスタッフとなりました。そう、洋介です。
あとから考えたら、この日の洋介はカメラ担当で全然海に入ってませんでした。果たして泳げるかどうかもわからない奴をスタッフに誘った私たちも私たちですが、一度会ったきりの客の誘いに乗ってオーストラリアからはるばる小笠原までやってくる洋介も洋介でした。これが縁というものでしょうか。そんな私たちが、お互いを認めあって、仲良く数年間一緒に仕事をしました。
私たち3人にとって運命的な出会いとなったロッキンハムでの一日でした。
(追記:2009年に洋介はSea-Tacを退職、内地に引き上げました)