太平洋戦争において、硫黄島では、本土防衛の最前線として激しい闘いが繰り広げられました。
それまで住んでいた島民は強制疎開させられ、軍人と軍属のみが残り、日本軍20,000人、米軍7,000人が亡くなりました。

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今でもその頃の島民の帰島は叶えられていません。
年に一度、旧硫黄島民とその家族が慰霊巡拝のためにおがさわら丸で訪島しています。
その旅に、小笠原島民として、同行させていただきました。

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硫黄島では、あちこちで活発に蒸気が上がり、硫黄の匂いがします。
一年に30センチも隆起し続けているそうで、数年前には海の中にあったという座礁船も、今では陸の上です。

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上陸後、平和墓地祈念公園にて、慰霊祭が行われました。
戦闘について後世に伝えようと、父島母島の中学2年生も加わります。
黙祷、追悼の言葉、誓いの言葉に続いて、全員で献花をしました。

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午後と翌日は、各所に残る壕や戦跡を回り、先人の苦難を偲びました。
気温湿度とも高く、まして壕の中は暗く狭く、いっそう高温になっています。
さぞさぞ厳しく辛い日々だったことでしょう。

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鎮魂の丘は、英霊を慰めるために、花と水をコンセプトにして東京都が建てたそうです。
持っていった水を捧げる人も多くいました。

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米軍の攻撃のために山の形が変わったと言われる、摺鉢山へも訪れました。
ここでは、日本人のみならず、アメリカ人を悼む墓標もありました。

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海一面を敵艦が埋め尽くし、いっせいに上陸してきた、南海岸です。

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今回の訪島に際しては、硫黄島に駐屯してる自衛隊員の大きな協力が欠かせませんでした。
移動は海自のバスで、運転も案内も自衛隊の方たちです。
そればかりか、凧揚げやエイサーや阿波踊りで歓迎してくださいました。

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2日間にわたる訪問から戻ると、おがさわら丸が硫黄島を一周して、別れを惜しみました。
日が沈むとき、それぞれが海へ献花しました。

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知識では知っていた硫黄島でしたが、実際に訪れて、さまざまな思いが新たになりました。
亡くなったかたたちの冥福を心から祈ります。